らーめん くじら軒 横浜
ブログをはじめる前に、1度来たかな。
一人できたのか、誰と来たのか。
果たして定かではないし、それを確かめる術もない。
たかだか10年来の記憶は、いとも簡単に
無かったかのようにしてしまえるなんて。
いっそのこと、行った事さえも覚えてなければ良かったのに。
そのことだけは覚えていて。
こうして、切り取っては撮り。
撮っては忘れ去ってゆく行為は、食べる事に似て他ならないのであり。
確かに過ぎてゆく時間だけは、裏切らないと信じていながらも
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そこにいる自分が、既に時を重ねてきた事を知る。
そうして、またしても同じボタンを押している事なんて気がつくはずもなく
ましてや、メニュー構成など覚えている訳も無く
狩猟本能的な部分がありながらも、
男の方が、執着心や過去を捨てきれないのは何故か?
という自己矛盾に立ち向かっていく中で。
支那そば
立ち昇る香りに、海馬の奥からシナプスが隆起する。
母性本能的な部分で、
女は男を受け入れているのだと知った時。
それが愛情でなく、同情だと
揚げネギに、私が10年来の記憶を
デジャヴするしかなかった。
宿命的に。
簡単に言えば、この啜り心地のいい麺は
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